そら動物病院

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介護について考える

今、卒園を控えた娘が自宅で卒園式の歌を歌って・・・それを聞いては涙が出そうになる我が家全員(笑)

そんなお別れの季節にちなんで、最期のお別れを迎える前の「介護」について考えようと思います。

 

私の介護経験は、仕事として・・・ではないと、亡き愛犬JINの1回だけです。

その前に実家で飼っていたクッキーは、介護の必要もなく、最後の朝ごはんを食べて・・

その後眠る様に亡くなりました。(なんて幸せな最期なんだ・・・)

 

私の、仕事としてではなく・・一飼い主としてのお話を書こうと思います。

 

亡きJINは柴犬の女の子で、ちょっと大きめな12㎏越えの子でした。

食べる事が大好きで、すぐに太るという・・とっても私似の子。

温厚で社交的、キレイな被毛が自慢な、おばあちゃん。

ペーペーの獣医師と、ペーペーの看護師が開業の夢を持って出会い、そのキューピット役だった子。

 

しかし、私と出会った時は捨て犬でした。

ホテルに預けられて、同居犬達と共に捨てられた子。

暑すぎて、寒すぎる環境で生活していて・・・手術の実験台(練習台)に使われていた子です。

誰も名前なんて知らなくて、同居犬達との区別もつけて貰えなくて・・ご飯も忘れられたり・・

そんな子でした。

 

私がJINに出会った時「この子だ・・・」と思いました。

 

クリクリのお目目に、キレイな巻き尾、肉厚なお耳・・どれも何て可愛いの!!!

「私があなたを、この環境から救ってあげるからね!!」と話しかけていました。

 

救ってあげる・・・を実現するために、まずは室内飼育に適応する練習を始めました。

居残りでシャンプーの練習をし・・

私が散歩に連れ出すまでの、自分のケージ内での排泄コントロールも教えました。

とっても頭が良かったJINは、6歳ながらもテキパキ覚え、室内飼いわんことしての準備ができました。

 

あとは、最期まで飼ってくれて・・・且つ、私が遊びにいける人を見つけよう・・と企んだ私(笑)

(我が家には既にクッキーがいて、他犬嫌いなクッキーとの同居は不可能でした)

 

そこに、上手く転がっていたのが院長です(笑)

わんこが大好きで・・

面倒見が良くて・・・

絶対にJINを捨てないと確信できて・・・

自分が遊びに行っても良いと思える人・・・・見~っけた♥

 

当時、まだ入社したばかりの院長に、JINを押し付けた私。

作戦大成功でした♥

そして、院長もなぜだか「JINのケージのお金は出すよ」とか言っちゃって・・・

「え??私が押し付けたのに?!」と思いながらも買って貰った私。

 

無事に、押し付け引っ越しが完了して・・私の「勝手にJINを共同で飼おう~」作戦が成功しました(笑)

エアコン完備の部屋に入れて貰えて、幸せそうなJIN。

でも・・捨てられた過去を持つJINが私達にお腹を見せて眠ってくれるまで、ここから2年弱かかるのでした・・

 

JINを見に行く過程で、やっぱりか・・まさかか、私と院長は付き合う様になりました。

院長が独身で1年先にJINと県外で過ごし・・その後結婚して私も合流。

3人で生活する様になって・・どの位だったでしょうか・・・

JINがこちらにお腹を見せて仰向けで眠っていました。

涙が出る程嬉しかったです。

あぁ・・・ようやく「捨てられる」という呪縛から解放されたんだな・・と思いました。

 

そこからは、3人の絆はガッチリと結ばれて、お互いがお互いの事を大好きだと信じあえる仲になりました。

「JINの為なら何だってできる」が私の口癖。

2週間に1回のシャンプーに、夜中の散歩・・・どんなに疲れていても楽しみに待っているJINに負けて40分。

 

JINは私の時は中々オシッコやウンチをしてくれず・・・院長が行くときはササっと排泄して帰ってくるんです。

それが、時には負担に思えてJINに酷い事を言ってしまったり・・も、ありました。

疲れて帰って来て、家事して、明日の用意して・・・睡眠時間は5時間弱。

JINに謝りたいとしたら、神戸での生活で言ってしまった理不尽な言葉達。

ごめんね・・・今だったら絶対にやらないけれど、当時の私は未熟な人間でした。

 

そんな時でも、JINはいつでもお腹を出して寝ていました。

ありがとう。

あなたの信じてくれる力が私の力になっていたよ・・と今でも空に向かって話しかけます。

 

愛知県に移り住み、私は母となり、JINと娘との共同生活が始まりました。

JINファーストで生きたい。と強く思う様になりました。

確実にJINが衰えてきている・・・と実感する様になったからこそ、ご飯も変更し、散歩も時間を短くして、

その分回数を増やし・・・ボケない様に違うルートを歩く様にしました。

 

娘にはごめんね・・・だけれど、私の中ではJINが確実に一番でした。

 

JINの優しさのお陰で、娘はわんこLOVEになり・・JINの散歩も大好きでした。

4人で行った散歩・・・楽しかったな~・・・。

 

開業する時も、最初に決めたのは院内でのJINの部屋でした。

高齢になってもケージ内で排泄しないJINの為に、再度お部屋の中での排泄を促し、癖付けました。

常にJINを観察し、健康診断をし、様々な病気に打ち勝ちました。

「超早期発見」

看護師の勘と、獣医師の勘がマッチすると凄いな・・と自分達でたたえ合い(笑)

その頃には「JINの介護」を考える様になりました。

 

JINがボケて、自分たちの事が分からなくなって、例えば咬み犬になったとしても・・・

今までの恩をお返しする時間だから、咬まれても許そうねと話したりもしました。

 

老犬になり、病気が重なると病気によって性格が変わる事があります。

皆様は、そんな時にも我が子を許し、愛し、見捨てずに、目を逸らさずにいる覚悟がありますか?

可愛いBaby期・・・元気いっぱいな子供期・・・年を取っていく後期・・全てを愛してこそ「我が子」です。

 

介護の仕方や、病気との向き合い方はオーナー様各々の違いがあっても良いと思います。

でも、できれば・・・動物にとって「楽な」道を選んで欲しいと願います。

何もしない事が時に、残酷な事もあります。

私達は病気の現状を伝え、共に考えていく事はできます。

でも、最終選択はオーナー様しかできません。

 

介護はとても大変です。

でも、最後に我が子とお話できる大切な時間でもあります。

JINは、最期は苦しかった時間もありましたが・・・

最期の最期は穏やかな、私達の知っているJINで逝く事ができました。

JINに天国で会える様に、これからも私と院長はこの業界で頑張っていきたいと思っています。

「あなたに出会えて、私達の人生は最高だよ」と時々JINと・・娘に話しています。

 

「JINの次を考えていますか?」と時々ご質問頂きますが・・・

今は考えておりません。

JINが大好きすぎて、まだJINを思い出すと泣けてしまうので、私にはまだ早いな~と感じています。

・・・・でも、10年以内には可愛い赤毛の柴ちゃんを迎えたいと思っています。

やっぱり、柴が好き。

私達に夢と幸せをくれた柴を、今度は娘と分かち合いたいと夢見ています。

 

介護。

まだまだ先の話のBabyちゃんも・・・

数年先の子も・・・目の前に近付いている子も・・・どうか、怖がらないで。

 

信頼できる病院を見つけ、その病院の中でも気楽に話せる看護師を見つけ・・・捕まえて、

何でも吐き出せる様に準備して下さい。

きっと、的確なアドバイスが貰えなくても、話をしただけで救われます。

一緒に泣いても良いんです。

(あ・・・・私だと先に泣きますが大丈夫ですか??

 

それが、当院でなくても良いです。

浜松は沢山病院があります。

病院の質を選び、どんなサービス(救急対応あるかないか等)があるかリサーチし、納得できる場所を見つけて下さい。

そして、幸せな最期を迎え・・・沢山泣いて下さい。

いつかきっと、その子の生まれ変わりが私達と一緒に歩み始めてくれる日が来るはずです・・・。

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